尾張紀行 常滑市   18/09/18


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尾張紀行 常滑市

暑月暑日に、家内とカメラと常滑へ。

伝統産業の「常滑焼」は、
日本六古窯の一つで、他は、
瀬戸、越前、信楽、丹波、備前だそうで。
最も古くて規模最大であったことが誇り。

レンガ煙突が、今や無煙で孤立し、
まさに遺産として、
傾きかけた町並み高くそびえ、
登り窯や黒板塀、「土管坂」の見られるものの、
うら寂しい工房もそれなりの存在感。

猛暑の中、家内と撮影を試みるが、
狭い坂の上り下りは厳しく、
涼をとる処も、惹きつける食事処もない!!

観光客は中韓の若い男女の旅行者ばかりで、
大きなキャスター付きの旅行ケースの、
ガラガラ音が石畳で暑さを増幅。
でも、彼らは疲れた様子もなく旅慣れ、
元気そのもの。

やっと見つけた廃屋のような店でランチ。
常滑生まれの常滑大好きの中年女性と相席。
話し好きで感じの良い土地っ子で、
家内と3人で話が弾み、よき思い出に。

彼女曰く、常滑を、古老の一部には、
「とこな」と頑なに濁り発音する人たちがいる。

帰宅後調べると、
「常鍋」と書いた記録があり、
遠く安土桃山の天正時代に、
「トコナベ」の名も見られるとある。

市名の「常」は「床」、「滑」は「滑らか」で、
床は地盤であり、粘土層の露出が多く、
滑らかなため「とこなめ」と呼ばれたとも。

最近のこの地の話題は、
飛行機乗降客相手の、
中国人運転の「白タク」横行で、
取り締まり側とのイタチごっこ。

取り締まりと言っても、ローカル・ポリスの
恐る恐るの生ぬるい注意と警告程度で、
相も変わらずの「馴れ合い取り締まり」らしい。

土地のタクシー業界はカリカリだが、
警察にその気はなく、
パーフォーマンス終始の繰り返しだそうで。
近年に空中分解した民主党の、
伝統的地盤でもある。

ネガチブな発言は慎みたいが、
魅力に欠ける街で、駅周りも活気に乏しく、
再訪を促す雰囲気はない。

ただ、当地の観光案内は一切触れていないが、
幕末期の「大政」ゆかりの土地である。
「大政奉還」とは関係はない。

駿河の国は清水湊の、
海道一(けぇ−どぅ−いち)の大親分、
清水次郎長の第一の子分、
「大政(おおまさ)」の出生地が
この常滑市の大野町である。
尾張国は知多郡大野湊の廻船問屋のせがれ。

昭和の御代を唸り通した浪曲師、
広沢虎造の名調子が偲ばれる。





煙 突





作 品



土管坂上がる