余田 メール  21/08/15


八月十五日

追 伸





今日は聖母マリア被昇天の祝日であると共に、
     大東亜戦争の終戦日です。


マリア様の取り次ぎにより、武漢コロナウイルスの終息の早からんことを
願い祈ります。
直接関係はないのですが、読んで頂きたい文章があります。
興味のある方はお読み下さい。


イエズスがマリア・ヴァルトルタに啓示された福音の写しです。

イエズスがいわれる。
わたしの母、マリアのこの悲しみを、忘れたことはありません。
わたしの受難を予測させて、を苦しませ、
が泣くのを見なければなりませんでした。
ですから、には何も拒みません。わたしにすべてをくれました。
わたしにすべてを与えました。は、すべての悲しみを耐えました。
わたしは、にすべての喜びを与えました。

あなたがマリアのことを思うときは、彼女の痛苦を黙想してください。
それは33年間続き、十字架の下で頂点に達しました。
彼女は、あなたのために、耐えました。

あなたのために、狂人の母という、群衆の嘲りにも耐えました。
あなたのために、親戚や偉い人たちからの叱責に耐えました。
あなたのために、
わたしからの「み旨を行う人たちはわたしの兄弟、わたしの母です」という、
見かけ上の否定を耐えました。

彼女以上に、み旨を、怖ろしいみ旨を、行った人がいるでしょうか?

息子が拷問されるのを見る痛苦を強いられた人が?
あなたのために、彼女は、わたしと会うためにあちらこちらへ行かされる
疲労に耐えました。
あなたのために、彼女は犠牲をし、小さな家から離れて群衆に混ざり、
エルサレムの喧噪のために、小さな故郷を離れる犠牲を払いました。
あなたのために、彼女は、心の中で裏切りを思案している人と
接触しなければなりませんでした。
あなたのために、彼女は、わたしが悪魔に取り憑かれた異端だと
非難されるのを聞いて苦しみました。すべては、あなたのためです。

あなたは、わたしがどんなにを愛したか、知りません。
マリアの息子の心が、どんなに愛情を感じやすかったか、考えません。
わたしの苦しみは肉体的なものだと考え、せいぜい、
最後にに見棄てられたと感じた精神的苦痛を付け加えるだけでしょう。
いいえ、違います。わたしは、人間の愛情をも経験したのです。
が苦しむのを見て苦しみました。

彼女を柔和な子羊のように、責め苦へと導かねばなりませんでした。
別れによって、何度も苦しめなければなりませんでした。
宣教に出る前のナザレで、前にあなたに見せたように、
わたし受難が差し迫ったときの別れ、ユダの裏切りによって、
わたし
受難が始まった晩餐の前、カルワリオでの悲惨な別れ。

わたしは苦しみました。自分が冷笑され、憎まれ、中傷され、
不健全な知的好奇心によって回避されるのを見ました。
その好奇心は、善をもたらさず、悪にしか発展しないものでした。
わたしは身の回りで起きている
あらゆる偽りを見聞きしなければならないことで苦しみました。
偽善的なファリサイ派は、わたし先生と呼びましたが、
わたしの知性を信じるからではなく、わたしに罠をかけるためでした。

わたしから恩恵を受けた人々は、最高法院と総督府でわたしを告発しました。
わたしを売りながら、わたしの弟子であるかのように装い続けたユダは、
長い準備をして巧妙に偽り続け、
愛のしるしによってわたしを処刑人に引き渡しました。

わたしは、人間的な恐れに捕らわれたペトロの嘘に苦しみました。
真理であるわたしを、なんとたくさんの偽りと不快が襲ったのでしょう!
今でさえわたしに関して、何とたくさんの偽りが存在するのでしょう!
わたしを愛すると言って、わたしを愛さない人。
わたしの名前を口にしながら、心の中でサタンを崇める人。
わたしと反対の掟に従う人。

わたしは、わたし犠牲の無限の価値について考えながら、苦しみました。
神の犠牲ですが、あまりに少数の人しか救われません。
この世の数世紀にわたる人びとが、永遠の生命よりも死を好み、
わたし犠牲を無駄にするでしょう。

このすべてが、わたしの現前にありました。
このことを知りながら、わたしわたしの死に向かいました。


読んで下さって、感謝します。




追 伸 08/16


文中

わたしは、わたし犠牲の無限の価値について考えながら、苦しみました。    
犠牲ですが、あまりに少数の人しか救われません。

この世の数世紀にわたる人びとが、永遠の生命よりも死を好み、
わたし犠牲を無駄にするでしょう。


開けてみれば、地獄は空っぽだった!
見たいな説もある中で、厳しいお言葉です。

多くの人々が、悔い改め、
神の許しを頂いて救われますように祈っています。 
私も頑張ります。

余田