東京15会 例会報告   2025/05/23


例会案内



各位殿                                 2025/05/23
       東京15会 第43回 例会の報告

竹内のパソコン不調で 木下、山本の報告を載せる

木下
  15会例会(第43回)報告 日時:2025年5月15日(木)13:00~15:00

場所:中国料理「龍公亭」(神楽坂)

出席者: 竹内、中村、山本、本田、土屋、藤井、木下 の7名(敬称略)

(幹事竹内からテーブルの時計回りの順)

安嶋編集長より、竹内幹事のPCが不調で報告が出来ないので、代わりに簡単な報告を、

というメールがあり取り急ぎこの報告を書いている。

とはいえ、補聴器をしていても会話が殆ど聴き取れなかったので、目で見た事と

ごく一部聴きとれた部分の報告になる。

電車が頻繁に遅れるので、かなり早めに家をでて、飯田橋駅から神楽坂をゆっくりと

登り、龍公亭の前に着いたがいかにも早すぎた。で、街頭に立って街並や往来の人々を

眺めて暫く時間調整していると、木下だよね、と山本が前に立っていた。一年ぶりだが

さほど変わらず元気そうだ。

連れだって中に入ると、もう竹内が席にいた。いやいや幹事は大変、お疲れ様。

ついで、藤井、土屋が到着。藤井はホームページのMUZMUZで最新の写真を

見ているので頻繁に会っているような感じだが、相変わらず若々しく現役の雰囲気だ。

土屋も童顔で柔和な表情なので、老人という感じがしない。

思えば、藤井は業務多忙で東京15会は欠席が続いていたので会への出席は久しぶり。

暫くして、本田が到着、おや、杖をついている。一年ぶりだが、表情に一年の年輪を

感じた。私の頭の中で記憶する表情に比べ、柔和な翁の気配が出ているようだ。

時間を過ぎたが中村(神父)が現れない。道に迷っているのか、忘れたのか。

山本がS.J.ハウスに電話を入れたところ、高校の同窓会に行くといって大分前に出たという。
(注:蛇足ながら、S.J.はイエズス会の略称で、より高齢になって介護が必要になるとロヨラハウスに移れるらしい)

迷っているのかと気をもんでいると1時半ごろ到着。やれやれだ。

この界隈を散策していた?との本人説明だった。杖をついているが、日焼けして精悍な顔つきだった。

欠席者からの便りを竹内に訊ねたが、メールが不調のせいか、状況をよく把握できなかったようだ。

池田は体調不調(病気ではなさそうだが?)らしい、菅については竹内の説明を私が聴き取れなかった。

余田、森寺はMUZMUZで近況聞いているが、

加藤(幹夫)、梅地、高田、吉田(廣義)、石丸、はどうしているのかな。

本田が主にしゃべり、藤井、土屋、山本が加わり賑やかな歓談だった。残念ながら

私は聴き取りが悪く、本田の話は10%程度のみ理解、土屋の声は全く聴きとれず

隣席の藤井の声のみ聴きとれた。

私以外は、補聴器をしていないのに会話に不自由はないようで、うらやましいね。

まあ、しかし、会話にはついていけなかったが、なんとなくあれこれしゃべって

発散はできた。

武宮校長や旧友の話がでていたな。中身は?

本田は月に一度九州にいって霊園会長の務めを果たしているとのこと。

自分自身の墓はこちらの方で準備済みで墓石の写真を見せてもらったが

「銀河の彼方へ旅立つ」とか彫ってあったな。かっこいい。

山本は以前MUZMUZで報告のあった血液の病気の治療続けているが安定しているようで

とても元気そうだった。PCの具合が悪くまだ15会ホームページは読めないらしい。

竹内が幹事として必要なこと以外はほとんどしゃべらず静かだった。
少し疲れているようで、体調があまり良くなかったのかも知れない。
飯田橋駅へ向かう帰り道でもしんどそうな様子だった。

六甲で知り合ってから70有余年の貴重な学友、絆。

老いとともに会う機会は減るけれど、15会HPで折々の消息が聞ければ嬉しい。

安嶋編集長もうしばらくがんばって下さいね。

お開きのどさくさにお店の方に撮ってもらったスマホの写真一枚添付

木下

<追記>

会が始まって間もなく、飯田の奥方がご挨拶に見えられた。

加齢がどこかで止まったようで 若々しくお元気そうだった。

東京15会は 龍公亭の前は上智大学のソフィアンズクラブでやっていた。

ソフィアンズクラブは現在は大学内部の会合限定だが、以前は会合参加者の中に卒業生が二人いると

部屋を使わせてもらえたので、宗教授(神父)と山本の扱いでかなり長い間、ここで東京15会を開催した。

改修工事で使えなくなり、さてどうしたものかと思案していたところ、飯田が息子がやっている店で

よければと龍公亭を紹介しくれた次第。


飯田は15会の世話をあれこれと随分やってくれた。あの独特の語り口、飯田節が懐かしいね。 完




 


 

  山本

  安嶋さーん

 

  ご無沙汰してます。

  お元気ですか。

  先週、神楽坂で7人が再会し、彼は?あいつは?・・出て来れない?・・段々そうなっていく・・なので、
  会える時に会っておく・・今回が終わり?・・神戸の方は?どうなの?・・彼は?あいつは?・・元気、元気・・
  どうしたのかな?・・そうかー・・だんだん・・そうなるかも・・東京も・・これが最後になるかも知れない・・
  集合写真!・・7翁が精一杯の元気な姿造り・・出来上がりはどうなったか?わからない・・けど・・
  飯田夫人とご子息の店長と美味しい料理に感謝して散会・・
  多分、竹内元彦幹事から報告が送られていると思います。そのとおり年相応の、多分、最後機会になったような集まりでした。

  
  さて、自分は、その後も相変わらず
15会のHPに繋がらないまま、今回の諸兄の話しを聞きながら、
  しばらく行っていない神戸の街と諸兄のことを懐かしく思い浮かべました。
  神戸も多分、すべてが新しく変わってしまった?・・かもなあー?・・一人ひとりの消息を聞くわけにもいかないけれど、
  彼も、そして、彼も、彼も、元気でいて欲しい・・と願うばかりです。

 

  最後に、一人だけ、消息を確認したい人がいます。正岡子規の孫に当たる・・と記憶していますが・・・  
  同期生、正岡さんの「名」が分かれば教えてください。また、彼の六甲卒業後の経歴は?・・
  如何しておられるのか知りたいなあ、と思っています。
  と言うのは、つい先頃、正岡子規の句に出会って、同期の彼を思い出したのです。

 

  以上、自分は、まあまあ、諸兄と同じように、ボチボチ、元気で、過ごしています、、
  過ごしていきたいと思っています。

  安嶋さーん、ご健康を祈っています。

  山本順



竹内のパソコン不調で 15会の報告を木下に頼む

偶然山本から メールが入る

15会の様子 よくわかる

感 謝