藤 井 2024/12/24
瞑想自省録 11。
六甲 瞑想自省録 11。
2024.11.29
11月は目まぐるしい活動の日日であった。
最大の行事は、ハーバードAM P106期の34年ぶりの同窓会を 東京で主催したことである。
私は50歳の時に、Harvard BSの最後のコース AMP(Advanced Management Program,高等経営者プログラム)に参加した。
4ヶ月、155名、28ヶ国のリーダーと同じ屋根の下で、寝食を共にした。この4ヶ月で大いに自分が「変革」したと思う。
この経験をベースに、その後の私の人生は、組織という枠を飛び越え、大きく変貌した。 自分の人生を、自分を生かして生きるようになった。
滅私奉公から、活私奉公へと意識が変わった。この体験記が「挑戦!ハーバードAMP留学」、
1991.5.東洋経済新報社刊と私の初めての著作となった。 処女作を読み返したが、思い出が溢れ、懐かしい。
卒業以来、日々のビジネス生活に追われ、同窓生とは仲のいい数名とは連絡はとっても、ほとんどの連中とは全く没交渉となった。
昨年の9月、Frank Lesher(元Sony法務担当ダイレクター)が日本を訪れた。日本人同窓生が数名集まり歓迎した。まさに33年ぶりである。
完全に引退して世界中を旅行して余生を楽しんでいる。違和感を感じたのも最初だけ、
すぐに昔に戻り、苦しかったが、今となっては楽しい思い出の、4ヶ月の缶詰「学びの」生活を語り合った。
あまりの懐かしさに、Frankがまだ連絡を取り合っている連中に、メールで連絡すると、どんどん話が進行して、
Graeme Hansen(元N.Z銀行頭取)と私が幹事役で、東京で開催という結論になった。
最初は簡単な仕事と判断していた。各自のメールアドレスに連絡をすれば、各自の動向がわかると安易に考えた。
しかし34年前、メールは存在しない。
ハーバードに残っているのは その当時の、会社と個人の住所と電話番号だけ。 以降その改訂・修正が全くなされていない。
Graemeと私の苦闘がここから始まる。 同窓生がまだ連絡を取り合っている連中に所在を聞き回る。 100名以上は全く消息不明。
Wikipedia, Facebook, Linked ~in, 各地のHarvard Club、 元の会社に電話で問い合わせる。諦めずに、虱潰し的に探索していく。
例えば、Ramon というスペイン人の好ましい人物がいた。どう調べても手がかりがない。彼の消息らしきものが判明した。
バルセローナで起業していると言う。
偶々5月、私たち夫婦でマドリード、バルセローナを旅した。バルセローナで探し回ったが、彼の会社のビルには行き当たったが、
彼の会社は存在していなかった。
Graemeと、(探索の経験を十二分に積んだので、2025年には国際探偵会社を設立しよう)と冗談を言い合えるぐらいになった。
34年の音信不通は長い。会社をほぼ引退。異動も激しく、住所移転がほとんど。。全員が80歳前後になっている。健康問題がいちばんの関心事。
多くの人が健康に問題を抱えている。
悪戦苦闘をして、結論は、100名が消息判明、コンタクトした。
37名死亡。55名消息不明。100名のうち、健康問題、年齢・東京までの距離、日程調整不可能等々で、参加者は海外5名、日本人4名。
奥様の参加を入れて14名。健康問題で土壇場でキャンセルせざるを得なかった海外者が 3名ZOOMで特別参加。
日本人は17名AMPに参加したが、7名が死亡、健康問題で6名が参加不能で、4名のみ参加した。
消息が判明、生存者が63名。参加できたのが9名。海外からよく5名が参加できたと思う。
11月6日のDAY1は34年ぶりの顔合わせ、 AMP終了後の人生と今後の自己紹介、ハーバードのケース・スタディを思い出しながら、
アメリカ大統領選、AI, アジアの未来を熱く語り合う。食事で談論風発。7日のDAY2は、歌舞伎見学、銀ブラ、豊洲、「千客万来」で食事。
添付の写真アルバムを楽しんでください。
全員80歳前後。各自のA MP終了後の34年の人生の軌跡は本当に興味深い。
以上